【金銭感覚がおかしい?】スーパーで旬を外れた高額野菜をつい買ってしまう

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スーパーで買い物してパートナーに叱られた日

最近、暖秋の影響により秋冬野菜の生育が全国的に悪く、野菜が高騰しているというニュースを見た。

例年なら9月になれば暑さも過ぎ去り、秋冬野菜の生育温度帯に入ってくるのが普通なのだが、10月に入っても30℃を超える日があるなどして、虫の被害が甚大だそうだ。

ニュース中でのキャベツ一玉1000円という値札を見て、「誰がこんなの買えるんだよ…」と絶望しながら、数年前にパートナーに叱られたことを思い出した。

数年前、自炊を始めてみようかと考え始めていた頃、私は近所のスーパーに買い出しに行くことに決めた。

「買い出しに行った」ではなく、「買い出しに行くことを決めた」である。

一大決心のように書いたのは大袈裟でも何でもなく、本当に「決めた」のである。

十数年ぶりにスーパーに行く

就職してから中年になるまで、自他共に認めるブラックな職場で社畜として人生を謳歌しまくっていた私には、スーパーで買い物をするなんて経験はほとんどなかった。

買い物をする場所といえば、職場か自宅の近くのコンビニオンリー。

買うものはコンビニ弁当かカップ麺、ペットボトルの飲み物、それと缶ビールや二日酔い防止のヘパリーゼくらいである。

学生の頃や若い頃に少しはスーパーで買い物をした覚えもあったが、すでに海外よりも遠い場所となっていた。

社畜生活も何十年もこなしていればある程度余裕が出るもの、定年はまだまだ先とは言え、だんだんと身近なものに感じられてきたことから、私は老後の生活を見据えて「自炊でもできるようになろうか…」などとぼんやり思うようになっていた。

おそらく、テレビか何かの特集で熟年離婚を取り上げていた際に、「夫が定年して毎回食事を作るのがしんどい」という主婦達の恐ろしくもっともなご意見を拝聴させていただいて、漠然とした焦りを覚えたような気がする。

そこで私は一大決心をして、インターネットでレシピを漁り、ブロッコリーの炒め物だか蒸し物だかを作ろうとしてスーパーに買い出しに出ることに決めたのだ。

スーパーでの買い物なんて、コンビニでの買い物とさほど違いはない。(当時の私はそう思っていたが、現在の私はスーパーでの買い物は知的な情報戦だと認識している)

レシピに載っている食材をカゴに集めてレジで支払いをしただけである。

パートナーからの是正勧告

意気揚々と自宅に戻り、ダイニングテーブルの上に戦果を広げた途端に、予想外のパートナーチェックが入った。

  • 有料レジ袋を使っている
  • すでに自宅にある調味料を買っている
  • ブロッコリーの値段が高すぎる

これらの是正勧告を強めに受けてしまったのだ。

パートナーの剣幕に、私は(初めてのお使いで買い物してきた子供が、もしこんなに怒られたら二度とお使いなんてできないだろうな)としょーもない感想を抱いた。

レジ袋を買ったことも、調味料がダブったことも申し訳ないと思ったが、「ちょっと待て、ブロッコリーの値段が高いのは俺のせいじゃない」とつい抗弁してしまった。

これがまた火に油をそそぐ結果となったのだが、要するに「旬でもない野菜を高い時に買うんじゃない!」という至極真っ当な主張によって私の抗弁は無駄に終わったのだ。

結局私は、晩飯の一品のつもりで家族に提供するつもりだったブロッコリーを、パートナーの機嫌が治らないために一人で食することになった。

定年後に食事を作れないと離婚、食事を作っても離婚

ブロッコリーを食べながらそんな方程式が頭に浮かんで来て、老後は結局一人で暮らすしかないんじゃないのかと、「((((;゚Д゚)))))))ガクブル」とした。

その日の晩、自炊というスキルが私の中でこれから身につけるべき必修スキルとして一躍トップに躍り出たのである。

自炊をしないと金銭感覚がおかしくなる!?

これを読んでいる皆さんが、私と同じような社畜生活を送られているかわからないが、社畜にはとにかくプライベートな時間が少ない。

家族が起床する前に自宅を出て、家族が寝てからこっそり帰宅する。

毎日子供の寝顔しか見ておらず、声を聞くことがほとんど無い。そんな生活を強制される。

今はそんな時代じゃないと言われるかもしれないが、私の場合はそうだったのだから仕方がない。

だから食事は職場近くで買ったコンビニ弁当と、残っているかどうかも分からない家族が残した冷たい晩ごはんを食べるしかない。

しかも上司の愚痴を聞くためにしょっちゅう居酒屋に連れて行かれ、自腹を切って炭水化物ビールと油コッテリ揚げ物を食べさせられるのだ。

今は割と時間のある生活を送れているのだが、この時の生活で私は脂質代謝異常になり、胆嚢結石を患って切除手術を余儀なくされた。

高価な野菜を平気で買ってしまうことの問題点

少し怨みがましい文面になってしまい申し訳なかったが、要するに社畜にはスーパーで買い物をするなんて時間を取れるはずもなく、出勤途中のコンビニで買い物するのが関の山なのだ。

程度の差はあれども、このようなコンビニ生活になりつつある諸兄らも実は多いのではないかと私は想像している。

今の世の中、歯医者とコンビニは吐き捨てるほど存在しているし、コンビニで買えないものはないのではないかと思えるくらいには商品が充実している。

そして利用者はつい忘れがちだが、コンビニの価格はある程度一定だが割高なのである。

先述の通り、私は高い野菜を買ったことでパートナーに叱られたわけだが、実際一個の野菜を相場より数百円高く買ったところで何も困りもしない。

むしろコンビニで買い物をせずスーパーで買い物したことを褒めてもらっても良いくらいだ。

ところが、ライフプランを見つめ直そうとしている場合、何の考えもなしに旬を外した野菜を高値で買うという行為は大問題である。

問題点
  • 相場を知らない→今後不要な出費を続ける可能性がある
  • 旬を知らない→料理や食材、そして健康について知識不足

この基本的知識の欠如は、今後のライフプラン見直しに当たって大きな障害となることは間違いない。

これらの知識は、自炊の経験がないことにはほとんど身につかない。

年金生活者となってから直そうとしても、染みついた金銭感覚はなかなか治らない。私の両親がそうだった。

気づけるうちに金銭感覚を正常に戻しておく必要がある。

結局のところ、旬以外でスーパーに並ぶ高価な野菜は、それがなければ料理が成り立たないくらいに切羽詰まった時に仕方なくイヤイヤ、他の多くの主婦達がそうしているように、苦虫を噛み潰したような表情で買い物かごに入れるべきものである。

家庭菜園をするようになってわかった野菜の旬

せっかくなので野菜を旬に摂ることのメリットについて少し触れておきたい。

「魚は切り身で海を泳いでいる」とまでは言わないが、私も食材に関しては相当に無知であった。

一般常識を兼ね備えた諸兄らからは「何を今さら馬鹿なことを…」と言われるだろうが、知らない人のために念の為に言っておく。

なんと、野菜には、夏にとれるもの、秋に取れるもの、冬に取れるもの、春に取れるものがある。

そしてその季節がその野菜にとっての旬ということだ。

「馬鹿にするな」と思ったあなた、ならば逆に聞きたい。

冬にスーパーに行って普通にトマトを探したことは無いですか?

トマトに限らず、キャベツ、ニンジン、ジャガイモ、ダイコン、白菜、レタスなどなどスーパーにはこうした野菜が一年中並んでいる。

今では「この野菜の旬はいつ?」と聞かれても困ることも多いのでは無いだろうか。

旬以外の野菜の栽培にはコストがかかっている

最近私は、ライフプラン見直しの中で家庭菜園を始めることにしたのだが、その経験でようやく食材の旬について理解してきた。

そして、旬の時期以外で野菜を育てるのはプロの農家でなければ難しいということも実感している。

育てにくい環境で野菜を育てるためには、人工的にその環境を作り出す必要がある。

そのためには多くの設備や燃料、人手が必要となり、そのコストは野菜の価格に反映される。

気候の異なる場所から輸送してきたとしても、輸送費は当然野菜の価格に反映されるわけだ。

しかし本来野菜は旬の時期ならたくさん出回るものである。

需給バランスで価格が決定する以上、供給の多い旬の時期が最もお得に野菜が買えることに異論を唱える方はいないと思う。

さらに、野菜は旬の時期が最も美味いのはもちろんのことだが、栄養価についても旬の時期が最も高く、健康面でのメリットも大きいのだ。

結論、「野菜は旬の時期に食すべし」ということになる。

年金生活に備え金銭感覚を研ぎ澄まそう

私たち中年世代(ミドルエイジ)は現在、多くの人が働き盛りの真っ最中だが、同時にリタイアに向けて舵を切りつつある世代でもある。

定年後にどのような人生を送るかは、今、何を準備するかで大きく変わることは容易に想像できる。

(その準備こそが、このブログサイトのメインテーマでもある)

定年を迎え、再雇用で組織に残れるならそれも良いかもしれないが、本音はさっさと引退してしまいたいというのが正直な気持ちなはずだ。

定年が年々伸びているという事情があるにせよ、問答無用で組織から放り出された場合は最悪だ。

60歳〜70歳の再就職活動など、私の場合は考えただけで恐ろしくなる。

おそらく定年後、普通の人は10年から20年は年金だけで食い繋いでいく必要があると思うが、その生活を成り立たせる場合、生活水準を下げることは必須になると思う。

本記事で言いたかったことは、生活水準を下げざるを得ない状況になった場合、これまでの金銭感覚のままでいることは大変危険であるということだ。

この記事を読んでいる賢い諸兄らなら既にこうした感覚をお持ちだと思うが、もしまだ金銭感覚に自信が無いというご同輩がお見えなら、一度立ち止まって考えてみることをお勧めする。

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この記事を書いた人

アラフィフ社会人
定年を自分ごととして考えられる年代になり、「第二の人生・老後の生活」についてあれこれ考えてます。
組織人として人生の時間の大半を仕事に費やしてきたため、「生活」や「暮らし」について何のスキルも持っていないことを反省中。
身の回りの出来事や取り巻く環境について、改めてアラフィフの視点から考察していきたいと思います。

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